私が留学中であったパリの町で初めて画家永井吐無と知り合って以来、すでに30年以上の月日が流れた。ヨーロッパの町や村、出身地四国の巡礼路やお寺、路傍の石、どこにも人影は描かれていない。今回のトレドもまた然り。人嫌い? もちろんそうではない。吐無さんほど、人との出会いを大切に、そして多くの不思議な、素晴らしい出会いを作り出す人も、めずらしいかもしれない。私もまた、その恩恵にあずかっている。
吐無さんの人のいない絵からは、不思議に、描かれた場所に暮らしてきた人たちの営みに対する画家の優しいまなざしが伝わる。具体例としては無であるからこそ、むしろ逆に、さまざまな人たちがそこに喜怒哀楽を生き、その場所に厚みを与えてきたのだということを、存分に想像させてくれる。今回のトレドについても、私にはそのように思えてならない。多く描かれている戸口、窓、ゆがむ道筋、石のデコボコ、どうであろうか、その場所に力をあたえたさまざまな人びとの姿が。
絵のタッチはじつに繊細きわまりない。それもそうで、下絵は細密な墨のペン画で仕上げられ、その一部を見た私のような素人には、それ自体が十分な作品に思えた。油彩となった絵からは、とてもスペインの町とは思えないふっくらした柔らかい雰囲気も伝わる。季節にもよろうが、現実のスペインの空気は乾燥して、陰影はくっきりと浮かびあがる。しかし吐無さんの画面から伝わるものは、もっと水気を含んだ柔らかさのように思える。トレドの空間に、おそらく日本的な、あるいはアジア的な異質が溶け合っている。それが、観る者の想像力を掻き立て、心を癒してくれるような、素晴らしい情景となって目の前に広がっている。
それが、永井吐無のトレドである。
福井憲彦(学習院大学長·西洋史家)
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